第73回「悪意」(2001.07.02)

「過剰すぎる反応だとは分かってるんだけどさ」とA氏は言う。

「『遅刻したら3万円』とか言うのよ。今日に限らず、ときどき言い出すのよ、『罰は何にしよう』とか『ミスしたら丸坊主』とか。ホントにそうする訳じゃないんだけどさ。そういうことば聞くとものすごくアタマに来るのよ。もう、その場で辞表たたきつけてやろうかと思うくらい。実際今日も仕事なんかできる気分じゃなくなってさ、こうして飲んでるわけだ」

「それはまた極端だな」

「ああ。ひとりで考えているともっとひどいことになるからな。『明日辞表と一緒に払いますよ』とか、『あんたがそういうくだらないことを言うたびに仕事にならなくなるんだよ馬鹿いい加減にしろ』『辞表たたきつけられたら引っ込めるようないい加減なつもりでそんなことほざくな』『その程度で怒っていたら社会人失格?管理職失格のあんたが言うかね』とかなんとか、そういう罵詈雑言のシュミ、ああ、シミュレーションでどんどん怒りが増幅されて」

「まあまあ、落ち着け」

「……ああ、そうだな……『罰は私の楽しい物にしよう』って、なんだよそれ、アンタが給料払ってる訳じゃねえだろう」

「実際、その上司にとってはネタなんだろう?」

「ああ、たぶんそうなんだけどさ、そういうことを無神経にいわれるとなんか許せないのよ。あの嬉々とした表情見てると、顔面にノートPCぶちこみたくなるね」

「何がそんなに許せないんだ?」

「うん……何でここまでアタマに来るのかな……うーん……、ああ……」

A氏、無表情になってジョッキをあおる。10分くらい黙っていただろうか。こういう沈黙は嫌とは言わないがあまり嬉しいものではない。と、とん、と飲み干したジョッキを置き、「お姉さん、生中おかわり」と叫び、話し始める。

「ああ……どうも学校の教師みたいに腹が立つのかな。ほら、宿題忘れると殴られたりするじゃないか。そんな風にさ、教師のストレス解消としての罰、みたいなさ、それと同じみたいにさ、あいつの憂さ晴らしとしての罰、っていうのが嫌なんだろうな」

「ああ……」

「うん。実際さ、契約なんだからきちんとしろ、とか、会社に損害を与えたんだからその分働け、といわれたらそれはまあ、しょうがないな、と思うんだよ。でもさ、『私をスカっとさせるために奉仕しろ』っていうのがさ、やっぱり腹立たしいんだな」

「なるほど、それは……そこまで怒るのは分からないにしても、気持ちは理解できる。で、理由が分かって、怒りは落ち着いたか?」

「うーん……そうだな……やはり直接文句をいってみるか……『そういうことを言われると非常に腹立たしい。冗談なら人の労働意欲をばっさり失わせるような発言はしないでほしいし、本気なら辞表を持ってきます』……ああ、それだけじゃないのか……いくら冗談だと考えていても、本当に冗談なのか確信できない、というのもあるのか……それもイライラが収まらない原因なのか……」

「……まあ、飲め」

……ここの飲み代が、部下から集めた罰金から出ていることは黙っておこう。


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