第90回「ものごころの記録」(02.04.15)

ものごころつくころの記録。私自身でいえば、写真と親の言葉。おぼろげな記憶もすこしはある。あなたはどんな記録が残っているだろうか。現時点で未成年であれば、ビデオがあるほうがふつうだろうか。親が見せてくれるかどうかはわからないが、育児日記のようなものもあるかもしれない。――そう、育児日記。WWWにも山ほどある。育児日記だったり、子どもをネタにした雑文だったり。

かつてはそういうものが不特定多数に公開されるのは商業出版物に限られていた。「わたしがママよ」(森本梢子)とか「私たちは繁殖している」(内田春菊)とか。ところが、今は誰もが簡単にインターネットで自分の子どものあれこれを公開できる。

このとき、その子どもの幼少時代あるいはそれ以前は、本人よりもサイトの読者のほうがよく知っている、という事態が発生する。下手をすると、オフ会につれだされて、見知らぬ特定少数に「あなたが運動会の応援団をやっていたウランちゃんね」とおもちゃにされた過去を持っていたりするかもしれない。これはもう全く想像ができない。

その子どもは何を思うのか。リアルタイムにそれを知らされていた場合、WEBでネタにされるということを「そういうものだ」として受け入れてしまうかもしれない。あるいは反抗期になるといきなり許せなくなるかもしれない。

※反抗期をリアルタイムに実況されたらものすごく嫌だろうなあ。

十分に年を取ってから。偶然親のサイトを見つけた上に、あまつさえその中に、自分のことが書かれたテキストが存在したら。これはまだ想像できる余地がある。私の幼少の頃の記述を考えてみよう。

シロスケは言葉を話し始めるのが遅かった。三歳になるまでは、「あ〜あ〜あ〜」しかいえず、年上の近所の子どもたちのおもちゃになっていた。

言葉を話し始めるようになったとのと、文字をよめるようになったのが同じ頃だったからか、面白い勘違いが多かった。たとえば苗字。苗字というものをどう理解したのだか、家にあるものならなんでも苗字をつけて呼んでいたことがある。階段なら「若林階段」、冷蔵庫なら「若林冷蔵庫」だ。私が笑っても、「何がおかしいのか」と納得のいかない顔で、また「若林テーブル」と始めるのだ。

考えてみたが、私の話をネタに雑文を書く母、という事自体が想像しにくい。そもそも母の文体というものが想定できない。なるほど、今は親の文体を知っている子ども、というのがあたりまえに存在するのか。

※いや、父でも良いんだけどそれはもっと想像できない。

自分で書く分にはネタでしかないが、母の手によってこんな内容が公開されていたらどう思うのだろう。今の時点で、あらためて幼少の頃をWEBで公開されたとしたら。それは嬉しくはないが許容するような気がする。過去に公開されていたとしても同じだろう。これが、中学生の頃なら激怒したかもしれない。許容できるようになるのは高校生のある時期だろうか。

正解のある話題ではないけれど、こんなことを考えてみるのも、ちょっと悪くない。

※子どもをネタにする場合、友人をネタにするときよりも強い配慮があるべきだと思う。子どもはそれを不快に感じても、有効な反論ができない可能性があるからだ。場合によっては、文句を言いだせない子どももいるだろう。

※サイトは子どもに秘密だとしても、いずれ子どもは親のPCののぞき見やサーチエンジンなりで、きっと見つけだす。子どもというのはそういうものだと思っているけれど、どんなものだろう。


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