第84回「真意」(02.02.04)

挨拶

私の研究室へようこそ。

私の研究室では、WWW、ワールドワイドウェッブ上に存在するテキストを解析しています。全てのテキストには真意、というものがあります。正しくテキストを分析したときに浮かび上がってくる真意、そこには常にドラマがあります。今日の講義ではこのテキストを分析します。

赤ずきんちゃん★ブレイクダウンより(タグ一部変更)

早朝雑記

久々に無意味徹夜。意味は分かりかねますが、ニュアンス的にあさぼらけって感じです。優雅だにゃ〜。

私の背後では、研究室の仲間がフゴーフゴーとイビキをかいて仮眠をとっております。あ。今、止まりました!死んだのかもしれません。

で、私はといえば、経験的に最もくだらない素敵テキストが執筆できる、このあさぼらけ時を利用して、なにか楽しい方向に展開しそうなお話でも書き進めようとしているんですけど、

金の斧銀の斧

昔々、あるところに貧しいきこりが、森の泉に金の斧と銀の斧を落としてしまいましたが、もぐって取ってきました。おしまい。

朝日がまぶしくなる前に帰る。

読解

まずは一段落目。「久々に徹夜をした」というのは事実として記録しておきましょう。助詞が省かれていることで、徹夜の退廃的な雰囲気が効果的に描写されています。次の文章は「意味はわかりかねますが」「ニュアンス的に」と、意図的に不明瞭な文章にし向けています。ここに欺瞞のにおいがします。「あさぼらけ」の真意が気にかかります。ここでは新古今和歌集から「あさぼらけ」を含む歌を引用しておき、先に進めます。

小さな点ですが、「優雅」という言葉も記憶しておきましょう。「だにゃ〜」にも意図を感じます。

次。読み流すと一見舞台が研究室のように思われます。しかし、あくまで「研究室の仲間」がいることだけが事実です。注目なのは次の文章。「死んだのかもしれません」。これは怖い。ここまでのテキストの傾向から、この「死」は事実である可能性があります。しかも、著者はあせりを隠しきれていないのか、感嘆符の後に空白を入れるのを忘れています。そう考えると、「イビキ」というのも途端に不穏な描写に感じ取れます。頭を打った後のイビキは危険だということはかの著名な哲学書「はじめの一歩」(講談社現代新書、森川ジョージ)でもよく知られているとおりです。

不安を感じつつ次です。ここではおおむね表面通りですが、「お話を書き進める」というのが「現実の話を展開させる」という可能性を常に胸に秘めておきましょう。また、「くだらない素敵」というイメージの具体例をおそれつつ次です。

その「お話」である「金の斧銀の斧」です。一見、落としたものを拾っただけのお話です。しかし、これでは「くだらない素敵」に合致しません。このテキストの真意はそんなに浅いところにはありませんでした。大変苦労したのですが、私はついに真意を見つけることに成功したのです。

真意

題をローマ字で書くと「kinnoonoginnoono」です。強い否定を表す単語「NNOO」が2つ目に付きます。これを取り去って書くと「kinogino」、「きんおぎの」です。「禁オギノ」でしょうか。オギノといえばオギノ式避妊法でしょう。俗に避妊法と呼びますが、オギノ式は本来計画的な妊娠を考慮したものですから、「禁」といった場合は、「基礎体温をはからない」というニュアンスで考えた方がいいでしょう。その結果何が起こったのか。妊娠でしょうか、不妊でしょうか。

もう一度本文を読みます。「落とす」「潜る」「取る」という動詞が並びます。そこから浮かびあがる真意は、「子種を落とす」「川に入る」「子供を取る」ということです。なんてことでしょう。背景には、妊娠してしまい、子供をおろした女性の存在があるのです。

あらためて読んでいきましょう。すると、あらゆるところに性的な暗喩が感じ取れます。仲間……恋人と夜を明かしています。それも「フゴーフゴー」といびきを書くほど「死にそう」に眠っています。どれだけ激しい夜だったのでしょうか。「フゴーフゴー」というのは、興奮を表す符帳でもあります。

激しい夜を過ごした翌朝。俗に太陽が黄色く見えるといいます。朝日がまぶしくなる前、というのもその暗示でしょう。昔、THE ALFEE扮するBEAT BOYSも"YELLOW SUNSHINE"で高らかに歌い上げていました。

そうすれば「あらぼらけ」の真意は一つです。

「あけぬればくるるものとはしりながらなほうらめしきあさぼらけかな」

また夜(の逢瀬)がくるとは分かっていても朝は恨めしい。しみじみと良い句です。

さてすると。舞台はまだ逢瀬の後で、「妊娠」「堕胎」というのは、あくまでお話の中の出来事のようです。「書き進める」というのは、「想像する」という意味でした。私は心からほっとしました。

しかし、安心してばかりもいられません。彼らはあまり考えずに夜を過ごしてしまっているようです。さらに、「死んだのかも」という言葉は、彼の隠された願望の現れです。彼は子供ができて騒ぎになるよりは、縁がなくなるほうがよいのです。悪いことはいいません。安らかに眠っている研究仲間の彼女さん、早めに別れることを考えたほうが良いですよ。まあ、朝、ひとり残されたあなたにわざわざ忠告することではないかもしれません、盛野和泉さん。

全てのテキストには真意、というものががあります。それを解析するのがこの研究室の使命です。またいつか、この場所、この研究室でお会いしましょう。

某氏の日記

久しぶりに人を殺した。やはり人を殺す、というのは最高にくだらなくて素敵だ。こういう素敵なことをしたときは、やはり素敵なお話ができる。今日の「金の斧銀の斧」は傑作だ。

金銀の斧、銅のない小野、「小野の頭と手足」を泉にぶち込みんでやった。そしてさらに、潜って「撮」ってやったのだ。すばらしい映像ができた。これに「金の斧銀の斧」のテロップをかぶせてやれば完璧だ。

失神した小野を肴に、旨い煙草をくゆらせていた。死にかけた小野を見て、この映像が浮かんできて、久しぶりに体中に電撃が駆け抜けた。もう、撮る前、書く前から傑作だった。最高にくだらない小野の死。しかも、頭を殴りつけたときにはその意志すらなかった。無意味だった暴力にも、後から意味はついてくる。

まだまだとっつかまるには世間は素敵すぎるので、夜が明ける前に退散してきた。

あさぼらけありあけのつきとみるまでによしののさとにふれるしらゆき

一首。コミケ(有明)の月が差し迫り徹夜した朝。俺は小野を殺し、解体している。吉野屋の牛丼の容器に飛び散る脂。

なんてくだらない。なんて素敵なんだ。


赤ずきんちゃん★ブレイクダウンウソツキ雑文企画の参加文章です。

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