第83回「論理とCSSの狭間で」(02.01.31)

ケース1

ホームページをつくっている。ホームページ作成ツールを使っている。HTMLソースはマニアの読むものだと思っているか、存在自体を知らない。FTPと言う言葉もよくわからない。

結果としてメジャなブラウザで問題を起こすことは少ないし、文句を言われたらIEで見て、と言えば良い。そもそも、ねっとすけーぷって何?

ケース2

HTMLソースをエディタで直接書いている。IEで表示して、リロードしながら見栄えを確認。

手で書いていることを格好いいと考えている。IEで表示できればOK。タグの閉じ忘れを指摘されると怒り出す。IEで表示できてるから、いいじゃん。

ケース3

CSSを利用している。FONTタグを使う代わりに、CSSで独自クラスを山ほど作成して、<DIV CLASS="独自クラス名" >とか<SPAN CLASS="独自クラス名" >で記述する。floteがよく分からなかったので、段組にtable要素を使っているが、それは仕方ないと思っている。「俺って素敵」と考えている。

実はIEでしか確認していないので、CSSにcolor:"#FFFFFF";と記述していたりする。

それは俺だ。

ケース4

HTMLはあくまで文書、ハイパー「テキスト」を記述するための言語であって、よく言えば感性に基づいた、本音を言えば無節操な文字の装飾を行うための言語ではない。CSSでも同じような勘違いが見られるが、あくまで「文書構造」にのっとったスタイルを示すためのものにすぎない。

「FONTで文字を飾り、TABLEでレイアウトする。Hnタグは面倒だし、ブラウザごとに 見た目が違うから使わない。それがHTMLの正しい書き方である」といった記述をWWWから撲滅したい。

そもそも、活字の世界でもフォント弄りとやらの流行はあった。が、あくまで一過性なものであり、あっさりと滅びた。そんな刹那的なコンテンツに興味はない。そんなことに労力をつぎこむのであれば、実体をもう少しなんとかしてほしい。

ケース5

HTML原理主義者は嫌いだ。奴らは誰も見もしないソースを読んで、それにいちゃもんをつけてくる。何が表現されているかが大事なのであって、プログラムの中身になど誰も興味はない。

奴らの理想は未だ実現されていない。実現しそうになればまた理想を紡ぎだすのが奴らだ。一方、我々の理想はどこでも手に入る。我々はFONT原理主義だ。

ケース6

やれ論理構造がどうだ、FONTはいかんというが、いずれにしても読み捨てられるテキストのソースに愚痴愚痴言っても仕方ない。みんながみんな「文書」として長期にわたって残されることをねらっている訳ではない。

手書きの原稿がマークアップされているわけではないように、論理情報なんて、テキストさえよければ他人の人が補完してくれます。極論を言ってしまえば、整形済みテキストで良いのよ。著者が書くのは。編集者は別ね。

ケース7

論理構造、論理構造っていうけど、W3Cが示した論理構造を全部かっきりマークアップする必要なんてないと思う。ABBRとACRONYM(略語、頭字)などをマークアップするのが本当に論理的なのか? 

どちらかというと脚注を的確にマークアップしたい。定義が結構難しいけど。今やるんだったら、<a href="脚注のURI" class="footnote">あたりか。

まともなHTML/CSSがかけている自信がないから、いちゃもんをつけて逃げ道をつくっているだけだったり。


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