第57回「昼下がりの坂道で」(00.09.14)

奮発して、お昼ご飯に中華料理を食べた。ラーメン屋のそれとは違い、ハーブが薫るような中華料理だ。3桁の料金のメニューなど存在しない。といっても、2000円はかからないのだが。ここの冷やしタンタンメンは美味しい。辛いスープの冷やし中華ではない。ごまと唐辛子でまっとうにつくられたタンタンメンのソースに、細い──スパゲッティーニみたいな──麺がからめられて出てくる。スープではない。ソースだ。

大きいお皿の中央に、椀型に盛られている。麺をつかむと、まとわりつくように固まりで麺が掬えるので、ほぐしつつたべる。初めて目にしたときはのびきっていて美味しくないのではないかと危惧したが、世の中の多くの危惧と同様、杞憂に終わってくれた。

まとわりつくのはソースの粘性によるもので、麺はとてもしっかりしていて、歯ごたえがきもちいい。キュウリの歯ごたえ、牛肉のアクセントもすばらしい。キュウリはあまり好きではないのだが、こういう風に使ってくれると嬉しい。

そんな風に幸せにお昼をたべた帰り道のことであった。例によって本を読みつつ会社に向かって、ふっと前に目線をやったとき、立ちつくしてしまった。

今まで見慣れた風景なのに、どこかが違う。未視感、というのだろうか。既視感の逆である。異相が違う、というのだろうか。あとから浮かんだ単語ではパラレルワールドのような、というか。足がすくんできた。

ぼやあっと光った空間。人のいない、車もない通り。何事もなくはためく洗濯物。いつもにもましてきつく見える坂道。自分がほんとうにいる場所ではないような。だんだん自分の存在すら怪しく感じてくる。5秒にも満たない短い時間で、体温がすっと下がっていく。

そんなことを考えつつ、頭では現実的な説明を求めていて、実際現実的な説明──雲の間をのぞく太陽というライトの効果──が見つかったのだが、怖いという感情は消えることがなかった。

さっき食べたタンタンメンの記憶は既になく。それ自体も遙か過去の体験のように記号化されていた。そして、麻痺した頭で坂道を上る。会社の自分の席に着く。まだ現実感はない。機械的にエディタを開き、体験した情景を機械的に文章化する。現実に帰ってきた。

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