第11回 募金活動にて(98.05.10)

 私の兄は2年前に生体肝移植手術を受けました。が。

 「再移植が必要である」との診断が下り、それも「海外での再移植」という。それが98年2月。

 保険はききません。で。募金活動という形でその費用を集めることになりました。

 兄の友人たちに代表を引き受けていただいて。

sukuukai.GIF (2730 バイト)

 上(トップページにもありますが)にあるのがその活動のホームページです。

 わたしはここの管理人をしていました。

 

 結果だけ書くと。活動を初めて、ちょうど1か月。4000万円という目標額に到達しました。

 善意というのはすごい。

 言葉にすると陳腐この上ないが、感動しました。

 

 活動が始まる前は、「本当に集まるのかな」と、不安を隠せませんでした。

 しかし。始めてみると、不安をよそに、順調に集まっていきます。

 知っている人からも、全く縁のない人からも。

 

 活動をしてくれるひとたちも。

 代表の方も、睡眠不足になりながらも活動していただきました。

 街頭(大学の卒業式・入学式)で声を張り上げて募金活動をしていただきました。

 オーケストラの演奏会のパンフレットにビラを挟み込ませていただきました。

 本当にたくさんの人が、いろいろな活動を提案してくださり、

 そして、実行していただきました。

 

 自分に、果たしてそういうことができるのだろうか。

 ということを考えると、人間としての「格」を感じます。

 

 募金について書き始めると、こういう言葉しか出てきませんね。

 

 さて。おかげさまで。現在は移植を待つばかりなのですが。

 

 募金をあつめて海外で移植を受けなければならない、という状況について。

 少なくとも、移植ができるというのは希望があるということです。

 それは、希望がないことに比べれば十分幸せなことだと思う。

 

 幸い、兄の場合はパニックになるようなことはなかったし。

 今の病気が表面化したのが10年ちょっと前。

 それからいろいろあっただろうけど、

 本人の気持ちは想像することしかできない。

 

 海外(マイアミ)の病院が移植を引き受けてくれたこと、

 募金が集まったこと。 全てがありがたい。

 

 さて。前回、生体肝移植を受ける前は、

 「とにかく手術は受けさせてあげたい」という気持ちでした。

 そのあとがどうなるかはともかく。

 が。

 一度、肝臓病の症状の黄色い目、肌が真っ白になった2年前の

 手術後の姿を見てしまうと。

 成功してほしい。

 本当に。

 

ここからはあまり嬉しくない話なのでもどる

 

 

 

 さて。これからの話は、あくまで。例外です。少数です。

 匿名性の高いインターネットという世界では、「いやがらせ」も

 あるわけですが。

 やっぱり、こういう活動に対しての嫌がらせメール(リメーラー使用)は

 かなりショックを受けました。

 兄が東大生であることがよっぽど気に入らなかったようで。

 ついでに移植も気に入らないらしい。

 兄のホームページの掲示板も閉鎖することになってしまいました。

 うーん。

 たったの数人、なんですけどねえ。

 完璧に無視するのが正しい、と思うんですよ。

 こういう風に反応するのではなく。弱いなあ、俺。

前の落書きへ 戻る 次のたわごとへ