それはなんだったのか (02.09.18) 103

満月の夜には気をつけろ。

花見がオープンな娯楽なのに対して、月見はクローズドな娯楽だ。花も月も人の心を解放するが、その方向は大きく違う。ぼくも例外ではなかった。いつもはふにゃふにゃと酔っぱらうだけだったんだけれど、まさかこんなことになろうとは。こういうときにも困ったような笑顔を浮かべてしまうのはどうかなあ、とは自分でも思うけれど、それも性分なのだろう。

そもそも最初からその予兆はあった。ぼくは月見団子だ、といってつみれ汁を用意した。いやさ、これも団子の一種だしさ、暖まると思って。それはそれで自分らしいなと思うけれど、やっぱりちょっと、月見でつみれ汁、というのは浮き足立っていたんじゃないかな。

幸い、まきちゃんがきちんとした団子と日本酒を用意してくれていたので、お膳立てはととのった。といっても、今から考えるとふたりの酒量を考えると、一升瓶をかかえてきたまきちゃんもどこか変だったのかもしれない。

幸い、赤みがかった綺麗な満月で、月見には最高の晩だった。赤い月を不吉の前兆とするような迷信的趣味はぼくにはない。だけれど、赤い月を見ながら、萩原朔太郎の「月に吠える」という強烈な詩集を思い出していた。中でも強烈なものを引用しておこう。

酒精中毒者の死

あふむきに死んでゐる酒精中毒者の、
まつしろい腹のへんから、
えたいのわからぬものが流れてゐる、
透明な青い血漿と、
ゆがんだ多角形の心臓と、
腐つたはらわたと、
らうまちすの爛れた手くびと、
ぐにやぐにやした臓物と、
そこらいちめん、
地べたはぴかぴか光つてゐる、
草はするどくとがつてゐる、
すべてがらぢうむのやうに光つてゐる。
こんなさびしい風景の中にうきあがつて、
白つぽけた殺人者の顔が、
草のやうにびらびら笑つてゐる。

本編も凄いが、北原白秋による「序」もすごい。命をかけてブンガクをやっている連中の描く文章はやはり凄い力がある。

荻原朔太郎のことを思いながら、会話はこれだけだった。

「荻原朔太郎の『月に吠える』って詩集があったね」
「うん――」

まきちゃんとふたりでいると、無口になることがよくある。言葉がなくても不思議と平気だった。たいていの場合、僕は沈黙に耐えられず、訳の分からないことをしゃべり出し、自分でもその醜態を自覚してしまい、さらに墓穴を深くしていくのだが、まきちゃんの前ではそれがなかった。

月とつみれ団子を肴に日本酒を開けていく。

酔い覚ましに団子に手を伸ばす。と、まきちゃんに手が触れ、なんとなくびくっと手をひっこめた。まきちゃんと目があう。まきちゃんの口が半開きになるが、言葉はでてこない。

こういう状況にあって、ああ、わかりやすいまでにお約束だなあ、などとのんきなことを考えるとは思わなかった。そして、理性とは無関係に口が動く。口にしたことばに嘘はないけれど、発言自体は理性以外のナニモノかがさせたとしか思えない。不思議な感覚だった。

「す、すきなんだ」

そのときの声は震えていたけれど、ひとことで言えただけ立派だったと思う。「ああ、いやいや何でもないんだよ言ってみただけなんだから別に返事しなくてもいいんだからねええといや別にすきじゃないってわけじゃなくってえっと」などと錯乱して口走らなくてほんとに良かったと思う。まして「ラブコメのお約束だよね」なんて口に出さなかったことは神に感謝してもいいくらいだ。ええ。生まれてきてすみません。

その後のことよりも、「あたしも」という小さな声をはっきりと覚えている。

月明かりのもと、うさぎの目のように赤い顔をつきあわせ、動きが止まる。

そっと手を伸ばす。

やっぱり丸かった。


補足、蛇足

月見雑文祭参加文章です。

「月に吠える」青空文庫版。本文中の引用もここからさせて頂いた。

haga ken hp worksにある朔太郎望景はいいっすよ。いくぶん強烈な絵なので注意。

雑文日記4号館のまきちゃんを肴にしていますが、本人とは無関係の妄想です。そこのBBSでこんな発言がありました。

>もしかしたらそれは一夏の経験とかいうの?
>まきちゃん、オトナになっちゃったのね… 

この発言を元に妄想し、多田くん視点でなにがあったかお答えしてみました。新暦八月の月見の夜の出来事です。


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